ヨーロッパ横断紀行
ランナーの巡礼歩き〜クラクフからジブラルタルまで6700km〜 太田 宏
13・・その2−フランス4(Les Huttes(レ・ズテル)からボルドー経由Irún(イルン)まで8/24-9/3))
【11. 8/24(水) Les Hutles(レ・ズテル)からCamping Les Sables(レサブレ)まで】
【12.8/25(木) Camping Les Sables(レサブレ)からRochefort-(ロシフォール)-Echille(エシレ)まで】
【13.8/26(金) Echille(エシレ)からRoyan(ロワイヤン)まで】
【14.8/27(土) Royan(ロワイヤン)からnear Chambres d'Hotels(シャンブル・ドテ)まで】
【15.8/28(日) near Chambres d'Hotelsからnear
Cussac-Fort-Médoc(キュサック=フォール=メドック)まで】
【16.8/29(月)near Cussac-Fort-Médoc(キュサック=フォール=メドック)からBordeaux(ボルド−)まで−8/31(水)】
【17.9/1(木) Bordeaux(ボルドー)からCapbeton(カップブルトン)まで】
【18.9/2(金) Capbreton(カップブルトン)からBierritz(ビアリッツ)まで】
【19.9/3(土) Bierritz(ビアリッツ)からIrún (イルン)まで】
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【11. 2016.8.24(水) Les
Hutles(レ・ズテル)からCamping Les
Sables(レサブレ)まで】+【Memoirs14】
本日のコースはLes Hutles(レ・ズテル)−-Marans(マラン)−-(Bus)−-La Rochelle-(ラ・ロシェル)−Camping Les Sables(レサブレ)の26km+バス22kmの計48km。
朝5時起床 霧雨 涼しい テントを朝早く抜け出し、D137を南下。幹線の途中からChaillé-les-Marais(シャイエー・レ・マレ)の町を目指して町中に入っていく。運河橋でちょうど夜明け。このタイミングを狙って近くのBarで朝食を注文しながら粘る。Artisan Boulangerというパン屋がopenしていたのでコーヒー1.1ユーロを頂く。小休止。7:10出発。
10:14 運河を渡りRaman市に入る。国道で多いのが小動物の死骸。不思議なことに空を飛ぶ鳥たちも犠牲に。皆ぺしゃんこにボロ雑巾のようだ。ポーランド、ドイツにあれほどいたナメクジは一度も見かけない。日本にはいっぱいいた蟻たちはここでは極端に少ない。勤勉なアリ達は居ないのか。
Marans(マラン)から鉄道便を利用するつもりでいたのに、もう鉄道はやっていないのだという。衝撃的な情報。道理で鉄道の路線情報で検索しても出てこなかったわけである。La Rochelle(ラ・ロシェル)までの22kmはバスがあるという。しかしながら本日は自転車競技のレースがあり昼過ぎごろここを通過するというので道路が遮断され始めた。交差点にポリスが立っているのでバス停を聞いたりしていたが、まずもって車が渋滞したまま40分も止まってしまった。沿道には多数のポリス。ここでは自転車優先なのである。先の交差点を一団が通り過ぎるまで根気よく待つのである。ようやくバスがやってきた。Pl.du Marqyuis d'Aligréのバス停からは13:07発。バスは14分遅れで到着。5.3ユーロ。便が極端に少ない。WeekDayは1日3本! La Rochelle(ラ・ロシェル)は13:50着。バスの到着が遅れたとは言え、22kmを歩くことと較べると断然早いのである。22kmを炎天下で歩くと7時間はかかる。なんと楽チンなことだ。Cafeでペプシ3.3ユーロ、チョコレートパン(Pain Chocolat)で寛ぐ。キャンプ場まで約6kmの道程である。ソーラー発電はすでに仕掛けリュックは日の光を受けている。ただし風が吹いて涼しく感じる。
La Rochelle(ラ・ロシェル)駅・・豪華な造りの駅舎である!
到着したキャンプ場。これも町のような展開だ。プールで皆が遊びバスタオルを巻いただけの女性が闊歩する。とpoorな一人テントのそばにゴージャスなキャンピングカーが到着したMcLouis 880という超大型の車である。色んなタイプがある。普通の車にテントを携えて来るものの、ロッジを借りるもの、キャンピングカーを引っ張ってくるもの。テントも様々で面白い。上から見ると十字になっているものが多い。
この違い 如何!
夕陽が沈む。8時47分。洗濯物は全部乾いた。あとは寝るだけ。イタリアの地震のニュース。フランス北西部は揺れたことがないらしい。
Map: Between Les Huttes andCamping
Les Sables via La Rochelle (レ・ズテルからラ・ロシェル経由レ・ザブレ キャンプ場まで地図 徒歩26km、バス22km)
【12.8/25(木) Camping Les
Sables−-Rochefort-(ロシフォール)-Echille(エシレ)】+【Memoirs15】
本日のコースは、Rochelle(ラ・ロシェル)郊外Camping Les SablesRochefort(ロシフォール)−Echille(エシレ)までの34km。この日ほどリュックを担いだまま走った日はない。夕方のSuperをめがけて6kmも走ったのだ。もうへとへと。
4:30満天の星の下で起床 今日の行程もテント泊である。只今19℃ながら厳しい天候が予想される。寝静まって真っ暗なキャンプ場を6:08に後にした。2kmでAngulin(アングラン)という町に入った。迷路のような場所であるがパン屋が2軒も店を出し賑わっていた。道が見通せない狭い道はコンパスが頼り。行き止まりになることも覚悟で進むがそこは正確な地図に寄っているためちゃんと行けるはずであるがスリルがある。ゲーム感覚と似ている。
さて今日も25kmは何もないサイクリングロード。多くのバイクが行き交う。大きな地図をもってこんな田舎によく来るものだと呆れていたが、水路が多い地域なので道路が少なく、ボルドーなどへの南下コースではこの道しかないという感じ。暑くなる予感で木陰があるたびに休憩。
Yves(イヴ)の風景
ためしにMaps.Meで、Barを探してみてもあるわけがなく・・・。あった! なんと高速道路E602側に目立つように建てられている郊外型のレストランHôtel restaurant
L' Air Marin(ラ・マリン) というのが歩いてすぐのところにあったという驚くべき展開。近くのインターから降りてやってくる人たちで、駐車場はどんどん埋まっていく。リュックには1Lの水とチーズ4切れとパンしかない。本格的郊外型レストランに入るのは気が引けるが命をkeepせねばならないと入店。当然ここで日中の時間を過ごすことにした。昼時で立て込んできたため、オーダーした食事がなかなか順番通りに運ばれてこない。それを待たねばならずかえって気兼ねなく長居することができた次第である。メインディッシュが来るまではサラダバーが食べ放題で、スイカなどのおいしい果物を食べるために何回足を運んだことだろう。
2時間くらい粘って退出。タブレットに充電もしてもらえて嬉しい。炎天下に突入していくのは決死隊のような感じ。けだるい昼過ぎ。
13:40出発。14:45 ダウン。E602道路の脇は余りにも暑い。木陰を見つけ昼寝。耳栓をしてそよ風に打たれよう。ソーラー発電は既にフルチャージである。
15:45 ふらふらと歩き出した。緑陰の道で素晴らしい景観。あと14kmでも16:22 休憩!16:45 出発。
17:00までの熱波の予想なるも日陰がなく炎天下をととぼとぼと歩く。
歩きだしても3kmしか持たない。余りの暑さ! 23km
point(あと11km) 17:26 木陰休憩。17:50出発。
34kmの道のりのうち、23kmのポイント通過が17:26である。まだ11kmも残っているのにもうフラフラである。日陰の度に休憩をしていたらずいぶん時間を取られた。リュックの食料品は底をついている。進行方向にスーパーがあることは確認済みである。閉店時間は19:30と考えられないほどの早い時刻。
そこまでは6km 1km15分のspeedでやっと閉店時間に間に合う。手ぶらであれば何でもないほどの遅いspeedでも、重い荷物を背負った身としては走るレベルのspeedである。小走りに走ってLa Charente(シャラント川)を跨ぐD733用の大きな橋に到達した。円弧を描いた巨大なアーチ型の橋でわずかな隙間の歩道を上がっていく。20mほどの高さは下を大きな船が通れるように作られているようである。
息が切れそうになり何回も立ち止まっては休むが、時間との勝負である。
もっと時間的に余裕があったのなら、400mほど上流にあるPont Transbordeur de Martrou (マルトウの運搬橋)を利用できたかもしれない。
Pont Transbordeur de Martrou (マルトウの運搬橋)
こはスペインのPortugalete(ポルトゥガレテ)のBizkaiko Zubia(ビスカヤ橋)とそっくりの運搬橋で、人と車を吊り下げて川を渡る。
19:30にSuper Uに到着した。玄関は閉められようとしている。最後の客たちのレジはまだopen。この状況で中に入って買い物が出来ないかを交渉。
ブルターニュのCap Fréhel(フレーエル岬)の帰りにも同じようなシチュエーションがあったが、その時はガードマンが強硬で絶対に中に入れてくれなかったのである。シャットアウトを食らったのは僕だけではなく10人ほどいたが全員断られていたのである。
今回は、店員の皆が協力してくれた。ある人はパンに走り、ある人はサラダを買うために、缶詰もと。とにかく広い店内を探し回る余裕はないのである。全員走りながら注文に応じてくれる。テント泊のためには夕食と、朝食は最低限getする必要がある。水はあまりにも遠い場所にあったので諦める。
ここで、getした大きなメロンを駐車場のスペースを借りて試食。といいながら全部食べてしまった。汗が引くのに1時間も要したからだ。さて歩行は続く。Échellais(エシレ)の町外れに達した。地元民しか通らない道で閑散としている。そこに広がっていた広大な農地は休耕田のような形。低地に向かってスロープとなっている。ここが良いかもしれないと坂を下りだした時である。その地主の家であろうか。はるか先の敷地から犬が数匹、吠えだした。
これはまずい展開である。テントは犬が吠える場所では不向きである。その家まで上がって行ったところちょうど庭に人が居た。犬をなだめてもらいつつ、さきほどgetしそこなった水を所望してみる。
なんと水以外に、炭酸水1Lまでも持っていけと。"巡礼人”の恰好をしていたためであろうか過分の接待を受ける。しばらく行っても設営場所がないため再度先ほどの森に戻る。
森には電波塔があり、保守用の道がそこまで通されている。一番奥のスペースでテントを設営。就寝。それこそ真っ暗やみ。周りは森と電波塔のみ。最も安全な場所ではないだろうか。
明日は35℃の予報。今日以上に厳しい。Royan(ロワイヤン)に近づいたらバスに乗ろう。もう身体が持たない。
Map: Between Camping Les Sables and Rochefort−Échellais 34km
【13.8/26(金) Echille(エシレ)−Royan(ロワイヤン)】+【Memoir16】
本日のコースは、Échellais(エシレ)―Royan(ロアイヤン)までの19km+バス17km。
森の中に建っていたキャリアの電搭の空き地に張ったテントを畳み6:00出発。
早朝の閑散とした道は気持ちがよい。朝日を浴びながら南下していく。近道を取り損なって大廻も車が少なければ苦にはならない。D733の街道に入る手前で大休止。合流のための三角地帯が綺麗な芝生となっている。
テントと寝袋を広げ天日干し。その間昼寝。さて、D733の車道を使って南下を試みるも、3kmでgive up。D733の歩道幅が1mしかなく、車がビュンビュと迫ってくる感じ。Street Viewでは下図のような感じでしかも殺風景。運河地帯なので車道が少なく一か所に集中するからであろう。
D733
Cadeall(カダイユ)でギブアップ。Barで聞くとRoyan(ロアイヤン)へ向かうバス停はすぐそこだと教えてくれる。ただバスは国道に沿って走るのではなく人の住む住宅街を結んでいく形で時たま国道に戻るという形であるので、バス停があるだけで喜ばなくてはならない。
この四辻を外すと、次の四辻ではバス停がないかもしれないのだ。歩行ルート上で言う「17km」分をパスで早めにRoyanに到着。港町と坂の町なのでたっぷりと市内観光。
明日はボルドーに向けて対岸のVerdon(ヴェルドン)に渡らねばならないためフェリーの時間を調べにまずは波止場に向かう。
17:50ホテル到着も満室らしく系列のホテルへ連れていかれる。遅い到着だったらどうなっていたか。港を散策。
Royan町風景(180°、18:07)
蔦の絡まる家が通りの奥にあった。坂道からスケッチ。
Royan港風景(190°、20:24)
漁港の雰囲気、この右側(西)にVerdon(ヴェルドン)行のフェリーの桟橋がある。
向かいのレストランからスケッチ
Map: Between Échellais and Royan via Cadeall
(ロシュフォール郊外のエシレからロアイヤンまで徒歩19km、バス17km)
【14.2016.8.27(土) Royan(ロワイヤン)からnear Chambres
d'Hotels(シャンブル・ドテ)まで】+【Memoir17】
本日はRoyan(ロワイヤン) −(ferry)−Le Verdons(ル・ヴェルドン)−near
Chambres d'Hotels(シャンブル・ドテ)(45°21'25.51",0°57'27.77")】までの34km+フェリー6km
Royan(ロアイヤン)から朝一番のフェリーで向かったVerdon(ヴェルドン)は一大石油基地。ボルドーに東から流れ込む川Garonne(ガロンヌ川)、La Dordogne(ドリュドーニュ川)が合わさって海のように広がる海域を作り、Royan(ロアイヤン)で大西洋に出る。海峡の距離は6km。その海域に沿う町々の車は、ボルドーまでの100kmを迂回するより、Verdon(ヴェルドン)からフェリーでRoyanまで渡った方が得だといわんばかりに多数の車がそのフェリーを利用する。何百台もの車がフェリーから脱出する様は壮観でもある。一列になって市内に吸い込まれていく。
対岸のVerdonに着いた。さぞかし賑やかな港町だろうと思ったのに、半島の付け根あたりに位置するためか、閑散としたものである。しかも歩き始めて580mで道に迷う。竹藪に前途を阻まれる。原因はGoogle MapとOpen Street Mapとの違い。半島の西側がビーチになっているためリゾート用の住まいが集まる一角で行き止まりをくらってしまう。しかたなくD1215を行くが、自動車道では面白くない。支線に入り当初予定した箇所に戻る。
Maison Carrée近傍のGoogle MapとOpen Street
Map
左図、bとc間に道がないのだ。cまで別のルートから到達。
さてここでも更なる問題が。ここに3本の道があるとしよう。どちらに進む?
Maison Carréeの三叉路
左が正解。これは砂道である。馬が通るような道が前途に伸びていた。結果として3kmの砂道! 足が砂に取られ歩きずらかった。前途多難な1日の始まりとなった。
そこを抜けると今度は炎天下。山も木陰もなく農地が延々と続く。D1E4では助け船が出た。水をくれる農家があった。巡礼スタイルであったので声がかかったのだろう。リュックを背負って歩く人などめったに居ない地域であったようだ。ビバークを予定したポントまでの34km、どこまで行っても荒野と寒村。途中Barでの食事を除いて、店など一軒もなく忍一文字の旅であった。今日の目的は「Medocの名で知られるワインの産地を歩く。」であったが、一向に葡萄畑が出てこない! 甘い夢を見ていたようだ。
いつものような放牧場や草地。日影が無く暑い。水路が2本通る場所で格好のビバーク場所を発見。テントを張る。
地名にMedocという名前が出てくるのにまだブドウ畑は見えてこない!
Map: Between Royan via Queyrac
(ロアイヤンからケラック郊外(テント泊)まで徒歩34km)
【15.2016.8.28(日) near Chambres d'Hotelsからnear Cussac-Fort-Médoc(キュサック=フォール=メドック)まで】+【Memoirs18】
本日のコースはnear Chambres
d'Hotels(45°21725.51",0°57'27.77") −near
Cussac-Fort-Médoc(キュサック=フォール=メドック)(45°9'4.6",0°44'12.6")までの39km。
テントを畳み5:30出発。満天の星空のもとヘッドライトをつけて進む。村々の名前に"なんとかMedoc"という文字が現れ出す。
熱帯のMedocを行く!
「Medocの名で知られるワインの産地は地平線まで葡萄畑。」
日陰の無い道をどこまでも、どこまでも進む。倒れないように!
Medoc葡萄畑
18:00頃から一面の葡萄畑となり始め圧巻。ポツポツとChateauの名を付けた館が建つ。ワイナリーで熟成倉庫を兼ねるのであろう。
やっと夕刻にワイン畑に到達した。Civrac-en-Médoc(シヴラック・アン・メドック)、Prignac-en-Médoc(プリニャック・アン・メドック)、Lesparre-Médoc(レスパール)などMédocという名前のついた町々を通る。
ワイナリーも、Château Castéra 、Château
Preuillac(シャトー プルイラック) 、Château
Lafite Rothschild (シャトー・ラフィット・ロートシルト)、
Château Pichon Longueville Comtesse de Lalande(シャトー・ピション・ロングヴィル・コンテス・ド・ラランド)などなど。もう目がくらみそうだ。瀟洒なシャートーが丘のてっぺんに建っていたりと、風景が単調であるがきわめて楽しい。
葡萄畑の列は南北に並んでいる。葡萄畑の隅っこでビバーク。23時頃花火が上がる。新月の日の効果を狙った形。星空が美しい。この地域あまり人が住んでいないのであろう。大きなはずの町Le Pohyalet(ル プイヤン)ですら日曜日とて全店が休みであった。
今日はどれほどブドウの房に助けられたであろうか。一房100mlは水分がある。海が隆起した場所で砂地に石ごろの痩せた土地でフルーティーというより寧ろ立ち枯れた木のテイスト。ソムリエになった感じ。紫色の小粒がびっしり付いた房。神に、農家に感謝。
Map: Between
Queyrac and Near Beychevelle
(ケラック郊外(テント泊)からベシェベル(テント泊)まで徒歩39km)
【16.8/29(月)near Cussac-Fort-Médoc(キュサック=フォール=メドック)からBordeaux(ボルド)まで−8/31(水)】+【Memoirs19】+【Memoirs20】+【Memoirs21】
本日のコースは、near Cussac-Fort-Médoc(キュサック=フォール=メドック)(45°9'4.6",0°44'12.6")−Caychac
Bourg−(bus)—Bordeaux(ボルド)までの32km+バス11km。
5:30葡萄畑のど真ん中から出発。テントは葡萄畑の真ん中に敷かれた一般道からわずかに入った場所。せっかくなのでぶどう棚の1列を表現してみよう。
列は決まって南北を向く方向に植えられている。畝の長さは50mくらい、高さはテントの高さ+10cm。せいぜい1m、一本に房が10個ほど。直径1cmくらいの小さな紫色の葡萄が100粒ほど。なかなかジューシーで甘い。
数本のワイヤが列に沿って張られている。上部に張られたワイヤの高さは、スティックが立てかけられる高さで90-100cmである。その棒が1.5m間隔に立っている。帽子をかけることが出来る。列と列の幅は1m。ちょうどテントが広げられる幅である。下は平。根元に肥料を置くなどの傾斜はない。いたって簡素である。
土は乾いて白く、石がごろごろ転がった荒地になっている。これがMedocの特徴であろう。8月末でこれほど育っているので、収穫時期の9月下旬で、さらに甘みが出ているとは思うが。今は土の香りがするくらいに土地になじんだ味がする。
海抜数mのだだっ広い葡萄畑。ぶどう棚の上に首を出すと、周囲360°、葡萄の海である。
もう水は僅かである。昨日の日曜日がたたり生命線がgetされていない。熟しているとはいえ葡萄は食料の代わりになっているのであろうか。一昨日から40kmもopenしている店がない。陸の孤島である。
Saint-Laurent-Médoc(サン・ローラン=メドック)、Cussac-Fort-Médoc(キュサック=フォル=メドック)、Casteinau de Médoc(カステルノ・ド・メドック)などの町々を通る。道は何百と分岐するので測歩を誤ると飛んでもない方向に行ってしまい二度と葡萄畑を抜け出すことはできない。
それこそ”慎重に”歩を進める。
Château Brane Cantenac、Château du
Tertre、Château Mongravery、Château
d'Arsac などのワイナリーが目白押し。その近くでは見学コースも敷かれ、フランスに来て初めてミラー(反射鏡)を目撃。土地不案内の車が通りに飛び出さないように配慮しているのだろう。
Château Pichon Longueville
Comtesse de Lalande
(シャトー・ピション・ロングヴィル・コンテス・ド・ラランド)
Arsac(アルザック)で驚くべき展開が。パリから歩いてきたという女性caminoのBlanche(ブランシェ=白)、ナントから歩いて来たという男性camino Francois(フランソワ)の2人に同時に遭遇。氏はポーランドのクラクフ大学を卒業したばかりの青年で巡礼が終わったらクラクフにもどり翻訳の仕事に従事するという。町にはcamino道が通っていたようである。ちゃんと水飲み場があり、モホン(貝のマーク)があったからだ。この2人は古来のcamino道を辿るという"正しい巡礼人"である。
僕の予定を聞くので今から20km先のBordeaux
に行くといったら卒倒していた。インポシブルであると。時刻は15:00を回っている。小生にしてみたら当たり前のことでも非常に奇異に映るのだろうか。D2号の道に合流できればバスに乗ってもよいと考え始めた。自称"弾丸camino"は、彼等とは別の独自コースでBordeaux(ボルドー)を目指す。瀟洒なワイナリーの続く街道も次第に住宅が建て込んできた。D2の街道に合流した場所にバス停:Caychac Bourgがあり人が立っていた。ボルドーへ行くバスが来たので一緒に乗り込む。18:30。camino2人とは翌日13:00-15:00の時間帯で、ボルドー駅で再会を果たした。
バスを18:10捕まえても50分もかかった。例のごとくぐるぐると近隣を寄っていくからだ。夕食をチャイナ-レストランFreres(Rue Croix de Seguey)で食す。
【タブレットが壊れる18時間前】
Scene of Bordeaux・Rue sainte-Catherin
(サン・カトリーヌ通りの風景)
ボルドーの目抜き通り。2007年に市街区域が世界遺産に登録されている。
Map: Between Near Beychevelle and Bordeaux
(ベシェベル(テント泊)からボルドーまで43km(徒歩32km、バス11km)
30th Aug(Tue)
Bordeaux(ボルドー)観光。この日は記念すべき【タブレットが壊れた日】となった。
ブルターニュに住むHouzeさんから今日の予定コースはやめた方がよいとサジェスション。Bordeaux からYchoux(イシュー)までを電車で行き、Sallebertまでの森を行くコースで3日の行軍は危険であると。このため予定を変更しイシューも含めて後の行程を電車かバスで行くことにし、余った時間をBordeaux観光に当てることにした。13:00には昨日のフランソワと会うことになっている。さらに遅れて到着するブランシェにも会う。13:30しかしここでトラブル発生。駅の 混んでいる待ち合い室でフランソワと話しこんでいる間にタブレットの画面が真っ暗に。ちょうどMaps.Meで彼の出身地Nantesを出そうとしている時に。Powerが無くなるとよくなる現象。その場合は事前に警告があるが。
ただ直前に椅子からポトリと落ちてはいる。原因が解らない。facebookのログインでBlaBlaCar(ブラ・ブラ・カー)を予約しなければならないがそれも出来ず万事窮す。フランソワ君(彼はその後、イルンまで行って北の道を歩いている。)は友人と会わねばならずここで分かれる。このタブレットをすこし様子見のため一旦は忘れよう。傷心のturbo717はツーリストオフィスへ行き、ボルドーの見どころをいくつか紹介してもらう。その一つがLa Cité du Vin(シテ・ド・ヴァン)。ブルターニュのオウゼさんもまだ行っていないというワイン博物館である。(傷心にしては元気である。もし予備のスマホ(家では1年以上も埃を被っていたという代物)がうまく起動しなかったらそれこそ旅は終わりになるというのに気楽なものだ!
壊れたタブレット と 予備のスマホ
1年振りにスマホに電源を入れてみた。ちゃんと起動したので一安心。シムフリーではないのでこれからはWiFi環境でしか使えないが。オフラインマップというべき自作My Mapなどの1000枚のイメージはタブレットの外部メモリ(SDカード)に入っているので、それをスマホに移し替えるだけでよい。またMaps.Me用のトレース情報はDropBoxに上げてあるのでそれをダウンロードすればよい。しかしながらPasswardが必要である。タブレットにはメモしてあったのであるがいまは役に立たない。これをカミさんに電話して家のパソコンのドキュメントの中を調べてもらう。複雑怪奇なその文章を読み上げてもらうより一括を携帯にメールして貰うことにした。
バス便で8/31や9/1の予定point(Sallebert(31km Point)、Léon(62km Point))へのアクセスを目論むもフランスでは大都市間のバス便乗以外は存在しないのである。バス会社はつれない。
残るは鉄道しかない。Bayonまでの路線で2、3駅 前で降りて当初の予定コースに合流することにした。歩かない分日程が浮くためもう一泊をホテル側に頼み込むことにしよう。高い客室であったらしいが超安値にしてくれた。結果として3泊も。
さてOffice de Tourismoで聞いた最新のワイン博物館-La Cite du Vin-へ。トラムBラインでいくと良いと。A、B、Cと3本あるトラムは随所で接していて乗り換えが自由にできる。1日何回乗り降りしても1.5ユーロである。
このLa Citè du Vin、ワイン学のすべてが勉強できる。世界中のワインの歴史などこれ程までに披露している例を知らない。映像も素晴らしい。家庭で振る舞われる様子が実際のテーブルを使って投影されたり仕掛けがなかなか手が混んでいる。最後に8階で360度の市街光景を眺めながらワインの試飲ができる。
La Cite du Vin(シテ・ド・ヴァン ワイン博物館)
この博物館は世界中のワインの歴史、品種、蔵元、テイスト、香りの試験などなんでもござれ。映像もすばらしく見学には3日を要すかもしれない。最上階の8階では試飲ができる。ボルドー産は3品種しか置いていないというからには、すべからく世界中のワインに照準を当てており依怙贔屓しないという態度であろう。
Garonne
(La Cité du Vin 8階のワイン試飲室からガロンヌ川を眺望)
橋はPont Jacues Chaban Delmsa(ジャック・シャバン・デルマ橋)
Cathédrale Saint-André de
Bordeaux (ボルドー サンタンドレ大聖堂)
こちらも御多聞にもれず修理中。
31th Aug(Wed)
アルカション観光と、スマホへデータのダウンロード。
Bordeaux−Arcachon−Bordeaux
ボルドーから電車で50分のArcachon(アルカション)に砂丘ピラミッドがあるという。ビーチもあるというので午前中はそこで遊ぶことにした。2.5x0.5kmという砂山が海岸を形成する森に突然出現した感じで驚愕すべき光景。その高さ100m。森側が傾斜60−70度というから切り立った砂山でとても登れるものではない。こんな砂山がなん万年も消えずに残っているのが不思議である。しかも毎年少しずつ移動していると言う。架設の階段が付いているがそれを登りきってもまだ頂上ではない。遥か先の丘の上が頂上。朝の一番列車で来たため独り占めの状況。
バスから降りた女性客がもう1人いた。リオンに語学留学をしている日本人であった。砂丘の様子を見て今日の行動を決めると言う。砂丘の外れで1人動かなかったところを見ると余程感動したらしい。僕は海岸が見通せたので緩やかな丘を下っていった。海水に足を付け戻ったが下りとはうってかわって大変な苦労。4倍ほど重労働であった。大汗である。
11:27 Dune du Pilat(ピラミッド砂丘)のバス停で駅までのバスに乗る。12:38発のボルドーへの電車に乗る。
アルカションという町、海岸のリゾートというより松の森に家が点在するという感じで芦屋と大船を足し繁華街の町並みは鎌倉といったところか。Houzeさんの息子さんのガールフレンドが住んでいる。9月1日なら会えたのかも知れない。
8:00から12:30まで4時間半いたところか。
Dune du
Pilat(226°、9:00)
Dune du
Pilat(33°、9:15)
森に突然の砂丘
ここで意外な展開が。俄かに売店などが立ち並ぶ一角に出た。床は砂だらけである。どうもこの辺りから砂山が始まるという感じ。しばらく森を進むと突然、本当に突然いままで隠れていた砂山が出現した。
その高さ100m。マンモス象がニョッキと現れた感じである。松林があまりにも近傍に迫っていたためその巨大さを隠していたのである。傾斜60度の砂山は登れども登れども滑っては谷底に落ちていく。蟻地獄のような壁である。いくつか足跡が残っているがどれも上部には登り得ていない。
しかし木の階段が天まで届くような感じで設けられている。そこまで歩けばよかったのであるが、早まった。前を行く日本人女性はリヨンで修行中であるという。砂山をバックに写真を撮ってあげる。
階段をのぼりつめてもそこは頂上ではない。2kmx500mの巨大砂山は深い森と、海に挟まれた感じでそそり立つ。
靴を脱いで裸足で頂上と思しきところに進み出る。何人か先人があおむけで寝ていた。真っ青な空と、白い砂山、青い海。濃い緑の森。これを見ずして人生を終えることは許されないのではないかとおもうほどの感動である。
毎年10cmくらいは動いているという、1万年で1kmの移動として広大の森を少し動いているに過ぎない。
午後はボルドー駅( Gare de
Bordeaux Saint-Jean ;ガール・サン=ジャン )に戻り、スマホにひたすら地図データのダウンロード。
電気屋に行ってもう一本USB-マイクロUSBのケーブルを買いたい。短いのもあるがバッテリーと繋いでも2分と持たず給電がstopする。今回の旅ではこういったケーブルのコネクタートラブルが実に多い。どうしたことか。
■鉄道のホームについて
駅に着くたびホームの低さに感嘆する。日本でよくあるような転落事故は皆無では無かろうか。ほんの40cmばかりだ。床を高くする必要があるのは車輪が車輌の真ん中にあるためでこちらのは車輌の端にありその部分が高い座席になっているか、2階席に行くためのものである。車輌の床を低くできているためホームが低くできる。
Carrefourで買い物。
Cathédrale PipeOrgan(大聖堂内のパイプオルガン)
Rue Beaubadat-Bordeaux(ボーバダ通り)
Map: Bordeaux
Place de la Victoire(ヴィクトアール広場からアキテーヌ門)Porte d'Aquitaine
ガロンヌ川に沿って三日月形をしたボルドーの町は「月の港」と称せられる。パリ、マルセイユ、リヨン、トゥールーズ、ニース、ナント、ストラスブルグ、モンペリエについで第9番目の大都市であるが、町の風格ではパリに続くのではないだろうか。
極めてよく似ている。この門はトゥールーズへの街道の起点となっている。
Map: Bordeaux-Arcachon(ボルドーからアルカション)
【17.9/1(木) Bordeaux(ボルドー)からCapbeton(カップブルトン)まで】+【Memoirs22】
本日のコースは、Bordeaux −(train)−Sant-Vincent-de-Tyrosse(サン=ヴァンサント=デ=ティローズ)−Capbeton(カップブルトン)までの電車170km、徒歩21km。
Bordeaux St Jean駅7:47発Hendave行きのTERであるが出発が30分遅れている。完全武装したポリスが見回りにきた。
予定を変更しての電車の旅。ところがこの鉄道路線を探すのが一苦労。Google Mapなどの地図で鉄道の線は消え入るほど薄く分かりずらい。駅の所在地すら探すの苦労する。町のかなり離れた場所に駅があったりするからである。バス停のほうがよほど探し易い。
ボルド−から南のYchoux(イシュー)まではかなり迂回した路線であることは分かっていたがその先どのような経路を経てBayonne(バイヨンヌ)に達しているのかを調べてみた。直線で結べばよいものをこれまた、大きく東に遠ざかるように曲がって敷かれてBayonneに達したあと真西のBiarritz(ビアリッツ)に至り、さらに国境の町、Hendaye(アンダイエ)へ向かっている。
ボルドーからの電車の行先がHendaye(アンダイエ)となっているのはそのためで、Bayonne(バイヨンヌ)行などとは書かれていないのでどぎまぎしてしまう。
狙いを定めた鉄道路線も、鈍行ながら、各駅には止まらない。2、3個駅をを飛ばしているように疾走するので心臓がうずく。電車よって停まる駅が変わるようでありよほどの注意が必要である。
小生の乗った電車は下図の太字の駅だけ停まった。
Ychoux(イシュー ;なんと止まらないのだ。)→Morcenx(モルサンス)→Rion-des-Landes(リオン=デ=ランド)→Saint-Vincent-de-Paul(サン・ヴァンサン・デ・ポール)→Saint-Paul-lès-Dax(サン=ポール=レ=ダクス)→Sant-Vincent-de-Tyrosse(サン=ヴァンサン=デ=ティロス)似た名前の駅も多く降りる時に注意が必要。
ここから真西に道をとりSeignosseを通りサイクリングロードに出て3、4km進むとMyMap 14_03_010 のa pointに到達。
Lac d'Hossogorの湖畔に別コースから到着。タブレット画面と違ってスマホ画面を見慣れていないためか計測を誤り住宅街の松並に入った模様。いずれにしろ大変リッチな地域である。それぞれ別荘のような邸宅。砂地に松並木といったお馴染みの景色が延々と続く。湖ではサーフボードに立ったり膝まづいたりしながらオールで漕ぐ人達が余暇を楽しんでいる。湖畔を歩くカップル。ゆったりとした時間がながれていく。スケッチを1枚。
Soorts Hossegor;Lac d'Hossegor
(ソール・オスゴールからオッスゴール湖を眺望)(0°、16:21)
湖畔のHosse Gorre(オスゴール)の町はさながら鎌倉の仲町である。
Map: Bordeaux−Soorts
Hossegor,Capbreton
(ボルドーからソール・オスゴール及びCapbreton(カップブルトン)までの地図)
【18.9/2(金) Capbreton(カップブルトン)からBierritz(ビアリッツ)まで】+【Memoirs23】
本日のコースは、Capbreton(カップブルトン)−Bayonne(バイヨンヌ)−Bierritz(ビアリッツ)までの28km。
6:05出発。日の出7:45
8km 14_04_004 a point D810国道脇で最初の休憩。日影では寒いほどだ。
ここから約5kmは立派な側面道付きの道、Bayonne(バイヨンヌ)に向かう。
10:00少し前に南方にピレネーの山並み確認。
10:30 標高45mの丘を下るところでもちらりと山が見えた。
10:49 14_04_007 c のpointで、何と住宅街のそま道を抜けると気持ちのいい山道となった。
第2休憩。小川が音を立てて流れる。プラタナスの木々の列が4列も。緩やかな斜面は静寂そのもの。太い木々は高さ3mから先は枝分かれしており計画的な植栽となっている。
Bayonneバイヨンヌで幾つもの橋があったがMy Mapを読み違えた。一つ目の鉄橋で地上に降りてしまった。カテドラルの尖塔が見えているのに川の向こうにある。それではいつまで歩いても到達できないわけである。
また戻って、2つ目の橋を渡る。Adour(アドゥール川)にかかる橋で、これをもってバイヨンヌである。大聖堂に向かう。建て込んだ通りはそのまま旧市街区域になっている。こういう場合は坂道を登っていくに限る。頂上に大聖堂が設けられることが多いからだ。初めての土地でも原則は変わらない。
カテドラル前に12:40到着。下の通りには食事目当ての人出でもカテドラルは空いた一角。スケッチなどしながら寛ぐ。インドから女優を連れた写真班が到着。スケッチを覗いたり少し歓談。
Cathédrale Sainte-Marie de Bayonne(バイヨンヌ サント・マリー大聖堂 )(164°、13:41)
Bierritz(ベルリッツ)までは8.3km。途中にあるレストランBrasserie du Forumで簡単なサラダを作ってもらい食す。これがとても美味しくパンを含めて完食。
BayonneとBiarritz(ビアリッツ)
ビアリッツの町も複雑怪奇だ。坂が多く、マンション類の林立。豪華な外装の装飾。波打つような甍の連続。青い海が迫る。ここは逆に海岸に向かってどこまでも目抜き通りを降りていけばよいのだ。
その道がRue du Port Vieux(ポート・ビュー通り)であった。皆 裸で闊歩している。海水浴の雑踏である。そこをむさ苦しい出で立ちの巡礼が歩いて行く。皆が振り返る。異様な雰囲気。余りにも皆と恰好が違いすぎる。
恥ずかしいほどだ。測定の歩数には間違いはない。ピタリと目標のホテルに到着するも受付に誰もいない。待っている時間を利用してスケッチ。
Plage du Port Vieux Biarritz
(ポート・ビュー・ビーチ ビアリッツ)(291°、17:21)
ここは海水浴場なのだ。巡礼をする場所ではなかった。
Rue du Port Vieux
(ポート・ビュー通り ビアリッツ)(90°、17:58)
砂浜へのテラスの場所で振り返って街並みをスケッチ。
ビールのアルミ樽を積んだ大きなトラックが止まった。どいてくれるまで数十分。
食事をして戻ってもまだ誰もいない。しびれを切らして受けつの内側に入り込んでパソコンなどを見てみる。
ちゃんと小生の名前があり部屋が判明。鍵を探しているときに女性がやってきた。隣のホテルにさっきから居たという。2つのホテルを掛け持ちしているようでありどちらかが常に不在だ。貼り紙があったらしい。
Map: Between
Capbreton and Biarritz
(カップブルトンからビアリッツまでの地図)
【19.9/3(土) Bierritz(ビアリッツ)からIrún (イルン)まで】+【Memoirs24】
本日のコースは、Bierritz(ビアリッツ)−Irún(イルン)までの32km。
部屋を早く出たのに、黒いナイフをリュックに仕舞った記憶が飛んでいる。どうもいけない。所作の記憶が出来なくなっているのだ。点呼は声を出して行うべし。気になったのでホテルに戻った。なんとナイフはなくその代わり町装束用の下着のパンツがベッドの下に落ちていた、黒い床に黒いパンツ。なんとナイフが叫んでいたのだろう。僕の代わりに何かを落としていると。奇跡である、ホテルに戻らなければ一生このパンツとはお別れであったのだ。イルンにあまり遅く着くことは出来ない。アルベルゲに泊まりたいので。
さて迷った。途中の町まで行くバスを捕まえようとカジノの近くにあるバスセンターに行ってみたが様子が分からない。8番のバスで一端ビアリッツ駅に行きそこから郊外型の816番のバスに乗り換えなければならないと漸くバスの運転手が教えてくれた。この間1時間ほど。駅に戻っても土曜ダイヤで間引き運転かも知れず。ホテルを出て真っ直ぐ進めば良かったものを。結局バスは諦め予定通りのコースを徒歩で向かう。ロスタイム2時間。どう取り戻すか思案どころである。
Looking Irún from Biarritz(ビアリッツからイルン方向)(230°、18:30)
当初期待したGuéthary(ゲタリー)までのバスは捕まえられずそこまで歩くことにした。距離にして10kmなので大したことがないが、時間のロスのほうが痛い。続いて山道の車通りで大変な勾配。15km行った所でcamino道がまだ15kmほど残っており標高40-90mの山道であることを考え国道を行くことにした。Saint-Jean-de-Luz(サン=ジャン=ド=リュズ)からは山越えをせず、国道D810に沿って国境の町Hendaye(アンダイエ)に行くことに方針転換。街路樹の巨木が連なり大変気持ちの良い国道である。
16_01_006_cで計画を変更し西向きに進路を取って
Sant-Jean-de-Luz(サン=ジャン=ド=リュズ)市内に入り、D810の方向へと行っている。
もうここからはMy Mapは使用しないのでスマホの電源を切った。国道D810は歩数1カウントに1台が通る勘定。どうしてこうも車が多いのだ。
13:00-14:00休憩、峠への上りが6kmも続く壮烈な国道であるが、プラタナスの巨木がずっと何キロも植えられ素晴らしい国道である。15:30-16:10 休憩 峠下り2.8km。
D810の国道。歩道が無いのだ!
16:45 スペインに入る。
Border Bridge(フランス、スペインの国境の橋)
イルンにある鉄道に近いアルベルゲに宿を取る。ドナティボの宿で無料であるが、50人の宿泊にシャワーが2つしかなく待行列。
Ondaribi'ko karia,Lekaenea Kalea(イルンのレカエネア通り)(90°、20:47)
ドナティボのアルベルゲはこの坂を下りたところにあった。WiFiは角の明かりが点いているBar Kaleganまで行けば利用できると言われて訪問。沢山のバスク人に取り囲まれる。eskerrik
asko(ありがとう;エスカリカスコ)という言葉を教わる。彼らは「こんにちは」「おはようございます」は全員言える。大したものだ。
Map: Between
Biarritz and Pais Vasco/Irún(イルン)
(ビアリッツからスペイン国境の町イルンまでの地図)
Elevation Profile : Between
Biarritz and Pais Vasco/Irún(イルン)
(ビアリッツからスペイン国境の町イルンまでの標高地図)
アンダイエの手前で壮烈な登りの国道。